演劇についてのあれこれ(その9)
三國連太郎の座長
やっぱり惚れた男やわ高揚した声が鳴り響いた。
声の主は、太地喜和子。
昭和63年、池袋駅から遠く、「どこまで行くのか、サンシャイン」と揶揄されていたオープン間もない頃のサンシャイン劇場。
楽屋には、終わったばかりの扮装そのままの三國連太郎。
豪快な太地喜和子はわが物顔に振る舞い、三國連太郎に抱きつく。
演目は、ロナルド・ハーウッド(松岡和子訳)「ドレッサー」三國連太郎は、シェイクスピアを演じ、高い評価を得、サーと呼ばれている老俳優を演じた。
このように始まる。
(座長は無様な様子で入ってくる。
座長は泣く。泣き続ける)
- 夫人
- (心底うんざりして)あなたって、本当にだめな人ねぇ。
- 座長
- 頼む、頼む、よしてくれ。
それから、ほぼ一時間、ドレッサー(付き人)のノーマンは、何とか座長を舞台の上に乗せようと悪戦苦闘する。
(座長はいきなりノーマンにしがみつき、彼の喉のあたりに顔を埋めてすすり泣く)
- ノーマン
- いい話があります。今夜は大入り満員。世間はあなたのことを忘れちゃいない。みんな座長の芝居を観たがっているんですよ。
- 座長
- 本当か? 大入り満員なのか?
- ノーマン
- さあ、始めましょう。
- 座長
- 今夜の演しものは?
- ノーマン
- 「リア王」です。
- 座長
- 無理だ。
- ノーマン
- これは結構なお言葉、みんな高い金を払って、あなたの舞台を観にやってくる、なのに「無理」それはないでしょう。
- 座長
- 人目につきたくない。
- ノーマン
- それは難しい。
- 座長
- 女房の顔も見たくない。
- ノーマン
- ますます難しい。奥様はコーディリア役。
- 座長
- それはそうと、今夜の演しものは何だったかね?
- ノーマン
- 「リア王」です。
(座長、おもむろに黒く塗り始める)
- ノーマン
- 違う、違う、駄目じゃないですか。オセロじゃないんですよ!
(座長は途方に暮れたようにノーマンを見る。ノーマン、コールドクリームでドーランを落とす)
- 座長
- 操り人形の糸がもつれちまった。短いのを引っ張って長いのをゆるめてくれ。ちゃんとしるしはつけてたかね? 人形遣いに、糸を取りかえろと言ってくれ。
座長は本番を前に、最悪の状況で、混乱を極めている。
- 座長
- 帽子はどこだ? ここから出ていくぞ。一時もこんなところにはいられない。毒蛇に囲まれている。四方八方裏切りだらけだ。押しつぶされそうだ。命の血がどんどん流れていく。荷が重すぎる。
- 座長
- 体の中にぎっしり石が詰まってる。重くて立てやしない。何をやっても無駄だ。一目見ればわかるだろう。夜には悪夢でうなされる。目に見えない手が私の足に杭を打ち込む夢だ。身動きもできない。
- マッジ
- 十五分前です。
- 座長
- だめだ。出られない。客に帰るように言って、金を払い戻してやってくれ。だめだ。あの豚どもが憎い。だめだ、だめだ。
今日の芝居、「リア王」のセリフにたどり着かない。
- ノーマン
- 芝居が違う。それは「ロミオとジュリエット」です。
- 座長
- 「嵐を起こしてやる。十分に涙をしぼりだしてやるぞ」
- ノーマン
- また違った。それは「夏の夜の夢」
- 座長
- 「おのおの方に伺いたい。忌まわしい妖術をもって」
- ノーマン
- 「リチャード三世」
- 座長
- 「この小さな芝居小屋に、広大なフランスの戦場が・・・」
- ノーマン
- 「ヘンリー五世」
- 座長
- 「人間は見かけ通りのものでなければならぬ」
- ノーマン
- それは「オセロ」
- 座長
- 「マクベスはもう眠れない」
- ノーマン
- やれやれ、とんでもないことをしてくれましたね。
- 座長
- え?
- ノーマン
- よりによって、題名を言っただけでたたりがあるっていうスコットランドの悲劇のセリフを いうなんて。
- 座長
- あの「マクベ・・・」、ああ、なんてことだ。
- ノーマン
- 部屋から出て、厄落としのおまじないをしなきゃ。くるくるっと回って、はい、ノック。どうぞ、入っていいですよ。「くそったれ」
- 座長
- くそったれ!
こういうふうに断片的に書き出しただけで、その時の三國連太郎の座長が目の前に蘇ってくる。
演出はロナルド・エアー。
魔法使いのように見えた。
彼の言葉のいくつかは今も覚えている。
「『リア王』を読むと、最初の一行から涙が流れて仕方がない。しかしそんな舞台を観たことがない」
最初の一行を読んでみた。いくら読んでも、どうして涙が出るのか判らなかった。
彼は、作者と自分で、座長とノーマンをやって、巡業したいと語っていた。
二人は、男同士の関係ではないかと疑った。
芝居が始まってほぼ一時間くらいの場面。演出がさえわたり、今でもはっきりと覚えている場面。
ト書きにはこのように書かれている。
(座長、王冠をかむる。夫人はマントを座長の肩に着せかける。開演前の儀式なのだ)
その場面で、三國連太郎は王冠が頭に乗せられた瞬間、ふらふらっと立ち上がっていく。
そして立ち上がったら、まさにそれは威厳あふれるリアなのだ。
まさに奇跡をみているようだった。
最初稽古場で見た時、ふいをつかれ、驚き、感動し、涙があふれた。
立ち上がる、それだけのことだ。しかしその数秒の間に、ろれつの回らない、しどろもどろの老人が、リアになっている。
それからもその場面は何度も見た。その度に、涙があふれた。
今、思い出して、その感動は、体の中に生きている。
三國連太郎は変な人だ。
初対面の時、いきなり聞かれた。
笹部さん、『寅さん』をどう思いますか
寺山修司もそうだったけれど、とても丁寧な言葉遣いである。
質問の意味がわからなかった。
それから、彼はこのような趣旨のことを言った。
俳優がヒット作を持つというのは、とても危険だ。そこで俳優は安住し、停滞してしまう。自分はそうはならない
それからすぐ、「釣りバカ日誌」が公開され、大ヒットした。
会うたびに今度こそ降りるつもりだと言った。
実際に、降板を申し出、その度に引き留められ、結局は、やり続けた。
その三國連太郎に三度目の「ドレッサー」の上演を持ちかけた。
最初のノーマンが加藤健一、二人目は柄本明。
役者というのは結局自分のことしか考えていない
つまり、三國さんみたいな役者を揃えろってことですか
キャスティング・プランを考えて、三國さんに見せた。
ノーマン市村正親、夫人太地喜和子、舞台監督マッジ樹木希林、野心的な若手女優アイリーン大竹しのぶ、反抗的な俳優オクセンビー伊丹十三。
まんざらでもない顔。
この人たちがやりますかね
三國さんとなら、おやりになると思います
早速、キャスティング交渉を始めた。感触は悪くない。何人かに内諾をもらった。
三國さんから連絡が入った。
飛んで行った。
やりたくない
どうしてですか
ぼくはこのサーって男が嫌いなんだ
絶句した。だって、この座長は三國連太郎そのものではないか。
それからしばらく押し問答。
三國連太郎は繰り返した。
とにかくこの男がきらいなんだ。やりたくない
結局三度目の「ドレッサー」は実現しなかった。