演劇についてのあれこれ(その16)
井上芳雄の「銀河鉄道の夜」
ひたむきというのは、言葉を換えれば融通が利かないで頑なということだ。周りの人はきっと賢治のひたむきに戸惑ったことだろう。そのひたむきが本物であるだけ厄介だったに違いない。ゴッホの絵は生きている間には一枚も売れなかった。今ではゴッホの絵を前にして通り過ぎる人はいないだろう。賢治の作品も生前には売れなかった。露骨なひたむきさが評価をためらわせたのではないだろうか。しかし賢治の身の回りには常に、カンパネルラがいた。それがとても重要なことだ。
賢治は黒い帽子の男にこう語らせている。
- 黒い帽子の人
- おまへはもうカムパネルラをさがしてもむだだ。
- ジョバンニ
- ああ、どうしてさうなんですか。ぼくはカムパネルラといっしょにまっすぐに行かうと云ったんです。
- 黒い帽子の人
- あゝ、さうだ。みんながさう考える。けれどもいっしょに行けない。そして みんながカムパネルラだ。おまへがあふどんなひとでもみんな何べんもおまへといっしょに苹果をたべたり汽車に乗ったりしたのだ。さあ、切符をしっかり持っておいで。お前はもう夢の鉄道の中でなしにほんとうの世界の火やはげしい波の中を大股にまっすぐに歩いて行かなければいけない。天の川のなかでたった一つのほんたうのその切符を決しておまへはなくしてはいけない。
賢治は37歳で死んだ。死ぬ10年ほど前から、「銀河鉄道の夜」を書き始め、何度も書き改め、結局は未完に終わった。読んで驚くのは、その夢見る力であり、信念である。
- ジョバンニ
- 僕はもうあのさそりのようにほんとうにみんなの幸のためならば僕のからだなんか百ぺん灼いてもかまわない。
賢治は心の底からの本心でこの言葉を書いているのだ。
宮沢賢治が好きだという人が信じられなかった。
「銀河鉄道の夜」を読み始める。たちまちその物語の中で迷い子になってしまう。何をどう読んでいいのかわからない。結局途中で投げ出す。その繰り返しだった。
しかし何度も読むうちに、気が付いた。
「銀河鉄道」は賢治が見た夢である。
そのことに気づいた時、自分もその夢に中にいることに気づいた。
外から見ていては何もわからない。しかしその中に入ればすべてがはっきりとわかる。
たちまち一言一言が大きな意味を持って語りかけ、その世界の豊かさに魅了された。
誰もが自分という一つの現実を生きている。
いじいじとした、何か気に入らないことがあると、唇が口笛を吹くようにすぐとがってしまうひがみっぽいジョバンニ。
そんな彼のところに銀河鉄道がやってきて、銀河の世界へと旅立させる。
そうするとはっきりとわかる。
人間はひとつぶの光る砂であり・・・その一つ一つの光る粒が自分で光っている星であることが。
ある時、賢治のところに銀河鉄道がやってきた。
賢治は生涯をかけてその夢を書き続けた。
結局は未完に終わったが、彼が出会ったカンパネルラたちが賢治の書き残した原稿を再生した。
それが今わたしたちが読むことの出来る「銀河鉄道の夜」である。
それは物語の入口である。
そういう意味で、「銀河鉄道の夜」は永遠に未完だ。
銀河鉄道の旅を終えた時、一枚の切符が手に残っている。
その切符を握りしめて、みんな自分の人生へと戻っていく。
それぞれの人生はみんな行き先が違っている。
そして誰もが自分の人生を完結させ、最後には同じところへ行きつく。
船に沈んだ青年が子供たちを連れて銀河鉄道にいる。
死んだばかりで今、自分たちがどこにいるのかわからない。
ああ、ここはランカシャイヤだ。いや、コンネクテカット州だ。いや、ああ、ぼくたちはそらへ来たのだ。わたしたちは天へ行くのです。ごらんなさい。あのしるしは天上のしるしです。もうなんにもこわいことありません。わたくしたちは神さまに召されているのです
この時、青年の心は不確かだ。この言葉はそう信じてしゃべっているのではなく、そう信じ込ませようとしてしゃべっているのだ。
しかし、その後彼はこう言う。
ごらんなさい、そら、どうです、あの立派な川、ね、あすこはあの夏中、ツインクル、ツインクル、リトル、スターをうたってやすむとき、いつも窓からぼんやり白く見えていたでしょう。あすこですよ。ね、きれいでしょう、あんなに光っています。わたしたちはもうなんにもかなしいことないのです。わたしたちはこんないいとこを旅して、じき神さまのとこへ行きます
青年は、今いつも見上げていた銀河の中にいる。
そしてその光景の中で自分が浄化されていく。
死への不安や恐怖は、祝福に変わり、不確かさが、確かさに変わっていく。
「銀河鉄道」は、自分の命を人の命のために役立てた人たちが乗ることが許される列車である。
賢治はその死者たちの列車に自分の分身ジョバンニを乗せた。
一瞬一瞬が発見であり、体験である。
そこで賢治はたったひとつのほんとうの切符を与えた。
そして銀河鉄道の乗客(選ばれた人)は、それを認め祝福した。
賢治が自分に渡した切符は、世界で唯一の詩人ということである。
生きている人間で銀河鉄道に乗ったジョバンニこそ、世界一の詩人になれる。
生涯一冊も売れなかった賢治は、自分が世界唯一の詩人だと自負していたのだ。
それが「銀河鉄道の夜」という作品の魅力である。
これは銀河鉄道の中で出会ったジョバンニとカンパネルラの会話である。
- カンパネルラ
- みんなはね、ずいぶん走ったけれども遅れてしまったよ。ザネリもね、ずいぶん走ったけれども追いつかなかった。
- ジョバンニ
- どこかで待っていようか?
- カムパネルラ
- ザネリはもう帰ったよ。お父さんが迎えにきたんだ。
- ジョバンニ
- どうしたんだろう、カムパネルラは、顔いろが青ざめて、どこか苦しそうだ。それに何か変な気がする。なんだかどこかに、何か忘れたものがあるというような、おかしな気持ちがしてしまう。
- カムパネルラ
- ああしまった。ぼく、水筒を忘れてきた。スケッチ帳も忘れてきた。けれど構わない。もうじき白鳥の停車場だから。ぼく、白鳥を見るなら、ほんとうにすきだ。川の遠くを飛んでいたって、ぼくはきっと見える。
外から見ればこの会話の意味はわからない。でも中に入ると、カンパネルラがなぜそんなことを言っているのかが見えてくる。
カンパネルラは死んでいる。でもジョバンニは生きている。そして二人は旅を続けなくてはいけない。
カンパネルラはこう思った。自分が死んでいることをジョバンニに気付かせてはいけない。
そう思って読むと、カンパネルラの言葉は絶妙である。死んでいるカンパネルラの生きているジョバンニ対しての気遣いがとても素敵だ。このカンパネルラの言葉はお洒落でユーモアがある。
「ああしまった。ぼく、水筒を忘れてきた。スケッチ帳も忘れてきた」
銀河鉄道の中での発見と体験がジョバンニを確実に成長させていく。
しかし最後の最後まで肝心なことがわからない。
- ジョバンニ
- あなたたちの神さまってどんな神さまですか。
- 青年
- 神さまは一人です。
- ジョバンニ
- ぼくたちとあなたたちは行き先が違っているじゃないですか。
- 青年
- 行き先が違っていても、神さまは同じです。わたくしはあなた方がいまにそのほんとうの神さまの前にわたくしたちとお会いになることを祈ります。
- ジョバンニ
- カンパネルラ!
- カンパネルラ
- さあ、お別れをしよう。ぼくたちはみんな違う行き先をたどって、最後にはあそこへいくんだ。
ジョバンニがはっきりと気が付くのは、カンパネルラが姿を消してからである。
一緒にいるときは、その人間の本当の意味や価値はわからない。はっきりとわかるのは、その人間が自分の前から姿を消してからだ。
賢治は妹のトシが死んだ時、押入れに顔を入れて「とし子、とし子」と号泣し、亡骸の乱れた髪を火箸で梳いた。それから半年間、賢治は詩作をしなかった。
銀河鉄道での最初の乗客鳥捕りとの別れを賢治はこう綴っている。
なんだかわけもわからずににわかにとなりの鳥捕りが気の毒でたまらなくなった。鷺をつかまえてせいせいしたとよろこんだり、白いきれでそれをくるくる包んだり、ひとの切符をびっくりしたように横目で見てあわててほめだしたり、そんなことをいちいち考えていると、もうその見ず知らずの鳥捕りのために、持っているものでも食べるものでもなんでもやってしまいたい、もうこの人のほんとうの幸になるなら自分があの光る天の川の河原に立って百年つづけて立って鳥をとってやってもいいというような気がして、どうしてももう黙っていられなくなった。ほんとうにあなたのほしいものは一体何ですか、と訊こうとして、それではあんまり出し抜けだから、どうしようかと考えて振り返って見たら、そこにはもうあの鳥捕りが居ない。網棚の上には白い荷物も見えない。また窓の外で足をふんばって空を見上げて鷺を捕る支度をしているのかと思って、急いでそっちを見たが、外はいちめんのうつくしい砂子と白いすすきの波ばかり、あの鳥捕りの広いせなかは見えない
その人間の価値に気が付いた時、その人間はもういない。
そんな出会いや別れを果てしなく繰り返し、今の自分がいる。
それにしても乗りこんだ銀河鉄道の窓から見える風景の素敵なこと。
見ると、
青白く光る銀河の岸に、
銀いろの空のすすきが、
まるでいちめん、
風にさらさらさらさら、
ゆられてうごいて、波を立てている天の川の水は
すきとおって
紫いろの波をたて
虹のように光りながら
流れている
野原一面に旗
黄色や橙、三角や四角の旗
ちらちらゆれたりふるえたりごとごとごとごと、
すすきの風のひるがえる中を
どこまでもどこまでも、
汽車は走って行く次から次へ、
きいろな底をもったりんどうの花のコップが、
湧くように、
雨のように、
けむるように
燃えるように、
光って立っている
この銀河鉄道に井上芳雄を乗せたかった。
そして彼にたった一枚の切符を渡す。
それは世界でも唯一の俳優という切符だろうか。
彼はその切符を持って井上芳雄という旅をし、もしその切符を失わなければ、その夢を実現できることだろう。
いやそうではない。
大事なのはその夢を見続けるということだ。
人が出来るのは夢を実現することではない。
誰もが夢を実現することは出来るわけではない。
しかし夢を見続けることは出来るのだ。
銀河
ミルキーウェイ
牛乳の帯
その先にたった一人の神様がいらっしゃる手には一枚の切符
たった一つのほんとうの切符
それを決してなくしてはいけない世界は嵐
世界は炎
その中を
どこまでも突き進む人は一粒の砂
その中で光が燃えている
その粒が天にのぼり
人の幸いを祈り
見守っている
- 井上芳雄の「銀河鉄道の夜」
- 9月19日(土)午後9時〜
- CS放送「衛星劇場」にて
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- 出演
- 井上芳雄
- 原作
- 宮沢賢治
- 音楽
- 宮川彬良
- 演出
- 笹部博司
ぜひご覧ください。