演劇についてのあれこれ(その15)
イプセンの恋
イプセンの作り出す人間は、たくさんの秘密を隠している。
それがその人間の強い意志の源であり、また輝きでもある。
イプセンを演じるというのは、その秘密の中へ入っていくことである。
秘密の多くは性的なことである。
彼女はそのお金をどうやって手に入れたのか。
女はいざとなったら何でもする。
例えば、ヤルマールと結婚した後、ギーナは自分を踏みにじったヴェルレと関係を持っていたのか。
あるいは、ノラは彼女の崇拝者ランクに体を許したのか。
またヘッダはいつも付きまとうブラック判事にキスまでは許したように思える。果たしてその先は?
ギーナに限って、ノラに限って、ヘッダに限ってそんなことがあるはずがないとイプセンは思わせている。しかし、その先は全くの闇にしている。
その証拠をつかもうと、いくら念入りに読んでも、あるのは状況証拠だけである。
1889年の夏、イプセンは夫人と共にゴッセンサスに滞在した折、エミーリエ・バルダッハと出会う。61歳のイプセンは、18歳の少女に公園で声をかけ(彼女にひっかけられたと言えなくもない)、妻の目を盗み、彼女は母親の目を盗み、逢引きを重ねた。
9月の20日付でこのような意味深な手紙をイプセンは、彼女に書いている。
「達しえないものに向かって努力する――この気高い、苦しい幸運」
つまりイプセンは、エミーリエという手が届かない苦しい幸運の中で悶々としていたわけである。
二人の間には性的な交渉はなかったと、エミーリエは後に語っている。一度のキスもしなかった
きっとそれは本当なのだろう。二人は度々会った。イプセンはエミーリエに欲望を募らせた。おそらく想像の中では何度もエミーリエと関係を持ったことだろう。
想像と現実、その一線は決定的なことである。しかし想像の中で超えた一線が、限りなく現実に近づいた瞬間がなかったとはいえない。
それがいわば秘密である。
一度のキスもなかったというエミーリエの言葉は果たして本当なのか。
その言葉はすでに濃厚な男と女の関係を告白している。
イプセンは彼女にこう語っている。
自分は離婚するから、二人で世界一周しよう
君みたいに夢中になったことはない
どうしようもなく好きで好きでたまらない。君のことを考えていつも涙にくれている
心に起った犯罪は、現実の犯罪以上に心を揺り動かすとシェイクスピアはマクベスに語らせている。
妻に性生活を拒否されている60男は奔放な18歳の処女に、性的な妄想をあふれさせる。
イプセンはエミーリエへの手紙で、そのひと夏の逢引きがどんなに楽しかったかを繰り返し、繰り返し、語っている。
夏に二人は出会い、9月の終わりには二人は別れ、それから二度と会うことはなかった。
別れて10日後の手紙にこのようなくだりがある。
「新しい作品が私の中で姿を現し始めています。この冬はそれにかかりきりのつもりです。そしてこの作品にあの愉快な夏の雰囲気を注入したいと思っています」
そして、その一週間後にまたエミーリエに手紙を書いている。
「想像力が活発に働いています。でもそれがいつも逸れてさ迷います。仕事をしている間中、さ迷ってはならないところへ。私は夏の思い出を抑えることができません。あるいはそうしたくないのです。あのとき経験したことを私は繰り返し、繰り返し――幾度も思い返しています。その全部を戯曲の形に鋳直すのはいまのところ不可能です。いまのところ? これからもそんなことができるでしょうか? また、そうできそうなるように、本当にしたいのでしょうか? 少なくともいまのところ、それは駄目です――そう思います。そういう気がするのです――それが私にはわかります。それでもきっとそうなるでしょう。そうなるにきまっています。でもしかし、本当にそうなるでしょうか?」
イプセンは確信犯である。エミーリエとの体験を自分の次の作品「ヘッダ・ガブラー」に利用した。
その手紙の最後に思わせぶりな記述がある。
「わたしたちの中で起こったことは、ばかげたことだったのか、それともきちがいじみたことだったのか、それともまた、どちらでもなかったのか?」
それから1年と3ヶ月後、1980年11月20日の手紙で、「ヘッダ・ガブラー」は完成し、エミーリエへの手紙にイプセンはこう記した。
「わたしの新作戯曲をお送りします。どうか受け取って下さい――しかし黙って!」
そのすべてがイプセンの作品そのもののように思わせぶりで秘密に満ちている。
秘密は想像をかきたてる。それがイプセンの狙いである。
イプセンはたくさんの謎を残し、核心は明かさない。それがイプセンの書き方である。
そしてイプセンを演じるというのは、そういうことである。
ギーナは生活していくためには、ヴェルレの金が必要だった。
ギーナは自分が望めばいくらでもヴェルレが自分にお金を費やすのを知っていた。
想像の中でそうしようと何度も思った。それを実行したかどうかはどうでもいい。大事なのは心で起こったことである。ギーナはそう思った、それが重要なのだ。
ノラは巨大な遺産相続人で自分の崇拝者ランクのお金に目がくらまないはずがない。
- ノラ
- ここに掛けて、いいもの見せてあげる。
- ランク
- 何です?
- ノラ
- どう?
- ランク
- 絹の靴下――
- ノラ
- 肌色。綺麗? 駄目よ、覗いちゃ。見るのは足の先だけ。もっと上を見たい?
- ランク
- ううん。
- ノラ
- その顔はなに? 似合わない?
- ランク
- さあ、付けてみないことには?
- ノラ
- いけないこと考えてない?(靴下でぶつ)これが罰!(靴下をしまう)
リンデ夫人は、二人の関係を誤解する。
いや、果たして誤解なのか。
見えているのは一部に過ぎない。
どうしてノラのいうことを額面通り信じることが出来るのか。
大事なのは事実ではない。心に起こった疑いが問題なのだ。
イプセンはエミーリエへの手紙で、こう語っている。
「あなたの後ろには謎の女王が隠れていると信じています。でもその謎ってなんだと思われますか? わたしたちは現実という不自由な世界で、夢の実現から隔てられて生きています。でも夢の中では、どんなことだって可能です。で、わたしはいま、その果てしない夢を追いかけています。わたしの作品で」
イプセンは現実には存在しない夢の女として、ヘッダをえがいた。
ヘッダは、毅然とした意思を持って、こめかみを撃って死んだ。
イプセンは英雄としての死を、ヘッダに選ばせ、実行させた。
人間はどんなことがあっても生き続ける。
生きるということは嘘をつき、間違いを犯し、罪を犯すことだ。
欺瞞という服をたっぷり着込んで、最後のゴールにたどり着く。
しかしそのゲームを、ヘッダのように途中でやめることが出来れば・・・
「こんなのつまんない、ヤーメタ」
そのように人生を投げ出してしまう。
ヘッダは空想の中でしか出会えない、イプセンにとっては永遠の神話、永遠の神秘となるべき女なのだ。
どうぞ、女優ならば是非「ヘッダ・ガブラー」を。
あなたの心のすべてを、禁断の一切をヘッダ・ガブラーという女性の中で解き放っていただきたい。