演劇についてのあれこれ(その11)
高畑淳子のサー・トービー
青年座では、わたし美人女優ということで通ってるのよ。だのになんでこんなぐうたらな酔っ払いのスケベな中年男をやらせるのよ
顔を合わせる度に、高畑淳子は言った。
「メアリー・ステュアート(ダーチャ・マライーニ作 望月紀子訳 麻実れい 白石加代子」を上演したのは1990年だ。それを機に、白石加代子を中心に芝居の企画が動き出した。
「メアリー・ステュアート」の次に立てた企画が、「熱海殺人事件」(つかこうへい)だった。木村伝兵衛 白石加代子、大山金太郎 大竹しのぶのキャスティングは決まっていたが、とん挫した。
では白石加代子で何をやるかを考えていった先に、「十二夜」のマルヴォーリオに行きついた。
だとすれば、女たちで「十二夜」をやればいい。
極めつきの馬鹿なぼんぼんサー・アンドルーは片桐はいり。
そして酔っ払いのサー・トービーを考えていって、高畑淳子にたどりついた。
それまでに高畑淳子の舞台を観たのはたった一度、それは加藤健一と上演した「セイム・タイム・ネクストイヤー」(バーナード・スレイド作 青井陽治訳)だ。
芝居を観終わって、楽屋に花をもって女優を訪ねたのは、生涯でそれが最初で最後だ。
おそらく、物凄く高畑淳子という女優が気に入ったのだ。
お互いに既婚者である男と女が出会い、恋におちる。それから、一年に一度、二人は逢引きを続ける。
高畑淳子は、演じるという幸せに満ち溢れていた。
稽古場での高畑淳子のテンションの高さは異常だった。白石加代子とやるということが、彼女の闘志に火をつけたのだ。
上演は1991年、サンシャイン劇場、演出は文学座の鵜山仁。
高畑淳子は、まるで、くるくる火を噴きながら回り、ねずみ花火のようにはじけた。
- トービー
- お嬢様なんざドジョウに食わせろ、おれたちゃりっぱなお歴々、マルヴォーリオなんざまるめてすてろ、「おれたちゃ陽気な三人組」とくらあ。べらぼうめ、なにがお嬢様だ。(歌う) お嬢様、お嬢様・・
- 道化
- おそれいったね、旦那のみごとな阿呆ぶりには。
- アンドルー
- うん、その気になりゃあ、たいした阿呆ぶりだよ。ぼくだってそうだ、この人がトービー抜けた阿呆だとすりゃあ、ぼくはアンドルーより生むがやすしって阿呆だよ。
- トービー
- (歌う)ころは師走の十日に――
- マライア
- 静かにしてよ、頼むから!
マルヴォーリオ登場
- マルヴォーリオ
- 皆さん、気でもくるわれたか? そうとしか思われぬ。あなたがたの分別は、行儀は、体面は、どこに捨てられた? 深夜に鍛冶屋連中のような騒ぎをなさるとは。あなたがたには、場所、時間、身分のわきまえがおありにならないのか?
- トービー
- 身分のわきまえならあるぞ。お嬢様の叔父上様だ、ざまあみろ。
- マルヴィーリオ
- 率直に申し上げよう。お嬢様がおっしゃるには、あなたを叔父上の縁でお邸においてはおられるが、あなたの乱交とは縁がない。
- トービー
- (歌う)お別れだ、きみ、行かねばならぬ。
- マライア
- まあ、およしになって。
- 道化
- (歌う)臨終だ、きみ、死なねばならぬ。
- マルヴォーリオ
- なんということだ!
- トービー
- (歌う)死んでたまるか、ぶっ倒れても。
- 道化
- (歌う)金がたまるか、ぶっ倒れたら。
- マルヴォーリオ
- 恥を知りなさい、みっともない。
小田島雄志訳である。
こうやって書きだすと、あの時の舞台がたちまち蘇る。
マライアは汀夏子、彼女のマライアはおきゃんで陽気、体全体がはしゃいでいて、動きが軽快で、ちょっと高めの声が魅力だった。毒舌でいたずら好きで、おせっかい、彼女はそんなマライアを本当に楽しそうに演じていた。酔っ払いでふざけてばかりいるサー・トービーに惚れている。それが体全体から漂っていて、切なくてかわいい。ほんとに素敵なマライアだった。
道化は青い鳥の芹川藍、彼女は不思議な女優だ。どこにも道化を演じていないのに、見事に道化だった。ふわふわとした浮遊感のようなものがあった。ポンとさりげなく投げるような突っ込みが絶妙だった。今思えば、彼女の道化は哲学があったと思う。ペーソスがあり、余韻が残った。
片桐はいりのサー・アンドルーはまさにはまり役だった。絵にかいたようなおバカなのだけど、彼女は馬鹿を演じてはいない。大真面目だ。そしてあれは片桐はいりそのものだった。ほんとに彼女はサー・アンドルーそのものだった。ふっと湧き出るような一言一言が、観客の爆笑を生む。彼女の特徴は何よりも品のよさだ。時にお馬鹿そのもののサー・アンドルーが格好良く素敵に見える。片桐はいりのサー・アンドルーがまた観たい。
オリヴィアは佐藤オリエ、彼女のオリヴィアもはっきりと残っている。彼女は恋する女など演じてはいなかった。いってみれば、彼女の中に恋する女がいて、その女に悠然と恋をさせていた。何もかもが見えている。恋に狂っている自分も見えている。理性のある大人の女が、男装の女に恋をする、何とも言えず、愛らしい。
ヴァイオラは文学座の篠倉伸子を抜擢、彼女はこのツワモノたちの中で健闘した。
マルヴォーリオは白石加代子。まさに圧巻である。真面目くさった嫌われ者の執事が罠にかかって、恋の妄想の世界を爆走していく場面に、観客は大爆笑。
そして高畑淳子のサー・トービー。一瞬一瞬がひらめきに満ち、彼女にも自分の中から何が飛び出すかわからない。べべんべんべん、べべんべんべん淳子の声が聞こえてくる。
あれはちょっとしたお祭りだった。
舞台は「夏の夜の夢」だ。
今思っても、幻のような舞台である。